ペンキでGO
安定の三日坊主。
最後に書いたのが2019-12-14だったから
早いもんで1年半。
世間様より一足先に"STAY HOME"を歌たって
色々作ろうかなぁーなんて思ってたけど
変に流行った言葉になってしまって
恥ずかしいので辞めましたw
結局、2019年末で会社を辞めて
フリーのグラフィッカーとして独立。
2021年5月の時点で
- ハンバーガ屋4店舗 (内、移動販売車1台)
- タコス屋7店舗 (内、移動販売車1台)
- 床屋1店舗
- ラーメン屋1店舗
- コーヒー屋1店舗
- 餃子屋2店舗
- うどん屋1店舗
- 雑貨屋2店舗
- カレー屋1店舗
- その他1台 (移動販売車)
計21店舗にペンキで絵を描いた。
駆け出しの新人としてはマズマズ。
ぶっちゃけブログを書く暇はありませんでした。
アパレル向けのグラフィックも
相変わらずやってはいるが
どーやらペンキ屋が本業になっている。
自然の流れで見えてきたイメージを
そろそろ具現化していこうと思う。
ヤッパリモノガスキ 1
日付は変わってしまったけどギリギリセーフな三日坊主。
すっかり中年になると物忘れが激しい。
ってな訳で、物のお話。
職業柄、避けて通れないビンテージの世界。
はい。実は、まったく興味ないです!!一般的な意味ではw
ただ、これは僕の異常なまでの物への愛情の裏返しだったりもする。
腕時計は昔から好きだ。
オーストラリアで育ったコンプレックスなのか
日本製であることが当時の僕のアイデンティーだった。
帰国前には集めていた60s70sのSEIKO 5を親友にプレゼントして
長くなる別れを惜しんだのを未だに覚えている。
近年も国内のスポーツイベントで公式の計器がROLEXなどの
海外メーカーを起用しているのを見ると寂しい気持ちになる。
ここ4年、僕はSEIKOのオレンジボーイというダイバーズ腕時計を
基本、風呂を入るときも付けっ放しにしている。
この時計との出会いは小学4年生の時だ。
教育熱心な母が最初に買ってくれた腕時計だ。
曜日カレンダー付きで赤で印刷された"日"の漢字に特別感を抱いて
眺めてはニヤニヤしてたのを今も覚えている。
少年は嬉しさのあまり、習い事の教室で絵を描いている間、
工作用にと残していたティッシュの空箱に大事に時計をしまっておいた。
絵は集中力を使う。
描き上げた頃には空箱の事などすっかり忘れ
時計は空箱ごと捨てられてしまった。
3日程の短い付き合いだった。
2015年のある日、急にあの時計を思い出した。
ネットを検索するとオレンジのダイバーズを見つけることができた。
その時計が"オレンジボーイ”と言う名前なのも初めて知った。
ただ大好きだった漢字のカレンダーの姿はどこにも見当たらず
代わりに見た事もないアラビア語が書かれてあった。
人気がないのか詳しい理由はわからないが、寂しい気持ちになった。
あの時間は戻らないのだ。
本来、ビンテージの言葉はワインの葡萄の豊作の年を意味するらしい。
だけど楽しい時間の中で飲まなければ虚しさだけが残るだろう。
当たり前だけど、幼い自分が大きくなり今の自分がいる。
だけど思い出は割れた鏡の様に頭の引き出しに散らばっている。
ならば思い出が、物を通して途切れた点と点を繋いで一本の太い線になるのであれば
人々の暮らしは裕福の違いに関わらず、より豊かになるのではないのか?
その金で何を買うのか?
手にした物の対価はなんなのか?
なんて偉そうにどーでもいい事考えつつ
この物の溢れた時代に幼少期を過ごした父親の車屋の片隅で
今日も絵を描いています。
イロイロカンガエル 2
どーせ誰も読んでない事はわかってるので、とりま更新。
昨日は勢いに任せて八王子署まで古物免許の書類を取りに行った。
オンラインで済ませても良かったが何事も経験。
直接聞きに行った方がモヤモヤもなくなって結果正解。
話はさておき。
年末と言う事もあり、実際暇だ。
大げさに言うと来年からの新事業の考察。
要は来年からの食いっぷちを考えている。
お陰様で今年も色々案件をもらい描き倒す事ができた反面、
心のどっかで甘えが出て何もプランニングをしなかったw
情報だけは入れているつもりでも実行には映さなかったので
結果ゼロ。
出遅れた感満載だが、反省しても意味ないんで、とりま前進。
メンタルと生活環境のインフラ整備をしなきゃな。
グラフィックの動向以外、時代に真面目に向き合ってなかったからね。
てな訳で、とりまAmazonでFire TV Stick 4K をポチっとな。
タブレットゾンビの家族で娯楽が共有できればな〜と。
あれ。仕事じゃないじゃん、つって。
てか、Amazonのリンクの貼り付けすらままならない雑魚かよ。俺。
まーいいや。覚えたら直しまーす。