ヤッパリモノガスキ 1
日付は変わってしまったけどギリギリセーフな三日坊主。
すっかり中年になると物忘れが激しい。
ってな訳で、物のお話。
職業柄、避けて通れないビンテージの世界。
はい。実は、まったく興味ないです!!一般的な意味ではw
ただ、これは僕の異常なまでの物への愛情の裏返しだったりもする。
腕時計は昔から好きだ。
オーストラリアで育ったコンプレックスなのか
日本製であることが当時の僕のアイデンティーだった。
帰国前には集めていた60s70sのSEIKO 5を親友にプレゼントして
長くなる別れを惜しんだのを未だに覚えている。
近年も国内のスポーツイベントで公式の計器がROLEXなどの
海外メーカーを起用しているのを見ると寂しい気持ちになる。
ここ4年、僕はSEIKOのオレンジボーイというダイバーズ腕時計を
基本、風呂を入るときも付けっ放しにしている。
この時計との出会いは小学4年生の時だ。
教育熱心な母が最初に買ってくれた腕時計だ。
曜日カレンダー付きで赤で印刷された"日"の漢字に特別感を抱いて
眺めてはニヤニヤしてたのを今も覚えている。
少年は嬉しさのあまり、習い事の教室で絵を描いている間、
工作用にと残していたティッシュの空箱に大事に時計をしまっておいた。
絵は集中力を使う。
描き上げた頃には空箱の事などすっかり忘れ
時計は空箱ごと捨てられてしまった。
3日程の短い付き合いだった。
2015年のある日、急にあの時計を思い出した。
ネットを検索するとオレンジのダイバーズを見つけることができた。
その時計が"オレンジボーイ”と言う名前なのも初めて知った。
ただ大好きだった漢字のカレンダーの姿はどこにも見当たらず
代わりに見た事もないアラビア語が書かれてあった。
人気がないのか詳しい理由はわからないが、寂しい気持ちになった。
あの時間は戻らないのだ。
本来、ビンテージの言葉はワインの葡萄の豊作の年を意味するらしい。
だけど楽しい時間の中で飲まなければ虚しさだけが残るだろう。
当たり前だけど、幼い自分が大きくなり今の自分がいる。
だけど思い出は割れた鏡の様に頭の引き出しに散らばっている。
ならば思い出が、物を通して途切れた点と点を繋いで一本の太い線になるのであれば
人々の暮らしは裕福の違いに関わらず、より豊かになるのではないのか?
その金で何を買うのか?
手にした物の対価はなんなのか?
なんて偉そうにどーでもいい事考えつつ
この物の溢れた時代に幼少期を過ごした父親の車屋の片隅で
今日も絵を描いています。